お芝居デリバリーまりまり 稽古日記

まりまりの今までの道のりが、けっこう赤裸々に読めちゃうブログです。昔の文章(><)書き直したいけど、がまん・・・

独りすき?

まりまりは2〜6人くらいの座組でお芝居をお届けしていますが、出演者達は基本的に「一人で人前に立てる」人たちです。

自作・自演出で一人芝居をやっていたり、ライブハウスでのパフォーマンスを企画・出演していたり、朗読で各地に行っていたり。かく言う私(ほた)も、一人パフォーマンスしながら旅をする・・・なんて時もたまにあります。


ひとりで人前に立ち、その場所と時間を受け持って表現をすることは演者本人に取って「厳しいこと」です。


稽古も、本番も自分しかいない。


時間をどう使って、どんな世界を作り、その日、お客さんの並ぶ場所にどうたどり着くか。そして自分の何を見せるのか。見てもらえるのか。
自分の身体と声と心が、今日どんななのか。それを教えてくれる人もいない。




劇場に案内され、楽屋に荷物を置く。照明はどうしますか?音響は?劇場の時間の使い方まで全部、一人で判断して決めなければならないそんな時もあります。

でも、一人ということは逆に人間にとって一番チカラが出しやすい環境でもあります。「ひとり」という状態の私をみると、お客さんも「ひとり」で私を受け止めてくれます。

それを感じあうことが出来れば、私も今の自分全部で表現できる。自分が人前に立った100%の実感を裸一貫?で味わえる。

「自分」を突き詰めようとする表現者は、「ひとりが一番いい」という感覚をみんな持っているような気がします。

言い訳も納得できない事を受け止める事も妥協も歩み寄りも理解できない相手と手探りで一緒に歩く事も必要ない。

すんだくらい湖にたった一人で、見えない向こう岸に向かって泳ぎ出すような、自分の身体一つで起こす摩擦を全身で感じる感覚。この自由と孤独の感触は、恐ろしく、魅惑的でもあります。


でも、それでも、他人と一緒にパフォーマンスするのは何故なのか?
その答えのカケラような物が、まりまりの興行で実感出来る時があります。先日2月27日に横浜のダウン症の子どもたちと親の会にお芝居をお届けしました。

その時、演者である私たちが心を合わせて、いまそこで、あやうく創ろうとしている世界に、お客さん達が一緒に心を合わせて創造に参加してくれている、そんな瞬間をさざ波のように何度も何度も感じました。

相手を感じること、受け止めること、合わせること、共鳴する事。
自分をためて、待つこと、味わうこと、その先に自分が、雲をまたぐ巨人の身体の一部になったような・演者全員の身体から光が?ぱーっと出るのを一緒に感じるような、感覚にたどり着く瞬間があるのです。あれは・・・何という物なんでしょうね?